開発日誌

同人ノベルゲームの開発に関することを散文形式で書く。とは限らない。

『ビフォアラ』Steam配信開始

1. Steamで出た

ホラーノベルゲーム『ビフォー・アライビング・アット・ザ・ターミナル』完成版を、Steamでリリースしました。

価格は無料。動作環境はWindowsです(推奨はWindows 10)。

 

改めて作品を紹介します。

本作は「町」と「記憶」をテーマにしたホラーノベルです。

とある地方都市を舞台に、主人公が小学生のころから大学生のころまで体験してきた、いくつもの不思議なエピソードを読むことができます。

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たくさんの思い出を重ね合わせることで、主人公はある隠された事実に少しずつ気付いていきます。

 

詳細な紹介サイトはこちら。

 

作中のBGMは、全てPrhyzmica様からご提供いただいています。

 

ぜひプレイしてみてください。

※Steam版は、2019年夏コミ版からシナリオ、背景画像、およびシステムの微修正を行っていますが、夏コミ版とほぼ同内容です。変更点の詳細は以前の記事にあります。

  

2. 今後

 未定。たとえばビフォアラの別プラットフォーム展開とかは完全に未定です。次回作のこともまだ何も考えてない。

冬コミは受かりました。12月31日(火)南モ39b

何出す問題がある。いまのところフリーペーパーの線が濃厚です。

 

3. 光の点と線と面

 LEDが普及して、街中が光の「点」であふれるようになった。

 これまでは「線」や「面」だった灯りが、小さな点の集まりで表現されるようになった。代表的なのは信号だ。それから蛍光灯型のLED電灯も、点をたくさん並べることで1本の線を、つまり従来の蛍光灯を表現しようとしている。

 光る部分それ自体が大きかったり細長かったりするLEDは見たことがないから、多分そういうものを造るのは技術的に不可能(あるいは困難)なのだろう。

 

 信号や「蛍光灯」のような分かりやすい例に比べると地味だが、自動車のテールランプやブレーキランプもまた、点の集まりになった。

 かつては、ひとつのブレーキランプ(左右に2個あるうちの片方)ごとにひとつの電球が入っていたと思うが、今は複数個のLEDによって「ひとつ」のランプが構成されている。

 それらブレーキランプのほとんどには、光を散乱させる工夫(すりガラスみたいなカバー)が施されている。しかしそのカバーの向こう側には、小さな光の粒が透けて見えることが多い。

 いじらしい、と感じる。

 大きな灯りがつくれないから、仕方なく小さな光を寄せ集めているように見える。

 本当は技術的な発展・進歩によって、従来の電球からLEDへの変化が生じているはずなのに、なぜか「苦労してやりくりしている」ように見えてしまう。さっき書いた「すりガラス状のカバー」もそれを隠す工夫として感じられてしまうし、その向こうから光の点が透けて見える様なんてもう、「隠しているのにバレてしまった」みたいに見える。

 実際に進歩しているものが、外見も「進歩しているように見える」わけではない。

 

 ここまで書いてきて気付いたが、考えてみればすりガラス状のカバー(文字数多いが正式名称が分からない)だって以前からあった。テールランプや、ウインカーや、バックランプは、カバーだったり凹面鏡だったりに刻まれた細かな凹凸によって、実際よりも大きな光、指向性の低い光に、擬態させられていた。つまり「いじらしい工夫」は昔からあった。

 LEDへと替わってからもまだそういう工夫が必要なところに、面白さを感じる。

 

4. 最近プレイしたノベルゲーム

Eternal(開発:Kunsina

 主人公が少しずつ前向きになっていくのが良い。いじけてなくて。

 あと、人工知能「テラ」のセリフにさりげない伏線……というか、作中の別のシーンを暗示する言葉が紛れていて、それが独特の魅力になっている。あるシーンでテラが語ることが、その後に描かれるまったく違うシーンと共通点を持っていたりする。

 後のシーンでそのことに気付いて、かつて聞いたテラの言葉を思い出すとき、なぜか納得感があるというか、不思議な晴れやかさを感じる。「伏線」とすら呼べない偶然の一致みたいな言葉の重なりが、テラと主人公の人生を繋いでいる。